今日は毎月定例のスピリチュアルイベントに出席しました、ここのビデオで30年に体験した組織の大分裂の話しがありました。

組織の実名を出して全く問題ありませんが、読者の感情や所属している方の想いを考慮して某団体と記載しますが決して非合法や反社会的組織ではありません(^^;)

20歳を過ぎて出家僧同様にこの組織で一緒を過ごそうと思っていました、そこまでの経過を紹介します。

工業高校を卒業して集合新入社員研修のために千葉県我孫子市にあるNEC(日本電気)の工事部門の関連会社に入社しました。

東京、東北と関連会社でOJTを行い、最終的に我孫子な戻りました。

ここで人生のベースとなる福祉(手話)を知るきっかけになった聾社と出会い社内の手話勉強会、手賀沼の近くにある手話サークル・手賀の会、全国手話通訳問題研究会(全通研)に入り北海道の全国集会に参加しました。

ある時に我孫子駅の近くでパネルを持って興味ある事をやっていました。興味がありましたが時間の関係で用事を済ましたあとに立ち寄ると伝えましたが既に撤収されていませんでした。

書店で関係書籍を購入して出先機関を教えて頂きました、我孫子からは目と鼻先の柏駅の近くにありました。その上位の支店レベルの組織が東京の上野にありました。

そこに惚れ込み最初に書いた通り出家僧の如く、住み込みで入りました。研修期間がなんと地元名古屋の名東区虹が丘にありここに住み込み約3ヶ月が座学で知識を習得しと4ヶ月後に全国各拠点に実習生として配属されます、私は九州の諫早でした。

そこで地方大会があり、その時にインスピレーションで出家から在家に戻り使命を全うせよと浮かびました。

配属先の上司に了解を得て名古屋の研修先の責任者の了解を得て辞めました。
その時は一緒をかけてやろうと思った事が何故と不可思議な思いがありました。

勤め先は出家前に辞めていましたが、そこの専務が独立した会社で採用されました。

その組織は実家のある名古屋市北区の城北、そして虹が丘、名古屋駅近く、現在の久山大通り近くの場と転々としました。

名古屋市北区にある北手話サークルに所属して代表の小松さん、故岡さんと出会いました。
岡さんはこの後に自主手話講座を立ち上げ現在の愛知盲ろう者友の会の礎を気づきました。

そして現在の介護職になるきっかけの授産施設すずらん(わっぱの会・共生福祉会運営)の職員募集を教えて頂きました。

入社後の1年ちょっとして辞めてしまいましたが、この福祉とは関係のない建設工事の現場管理で全国を転々として時間も不規則なためにボランティア活動が出来なくなりました。

約30年後にすずらんの施設長から介護のアルバイトの話しがきっかけで現在のフルタイム職員になりました。人生に無駄な事は何一つないを実感しました。

そうこうしている内に出家を志した団体の跡目を巡った大分裂、紛争が起きました。
なぜそんな辛い場面に巡り合わなければならなかったかが今日分かりました。

行事の途中のビデオで
人は物事を決定する時は「分析→判断→決定決断」をします。この過程で心の目が曇っていては判断を誤ります。

そうならないように「清明性直」な心魂が不可欠になります、その判断基準を養う場面が30年前だったかも知れません。
10代~50代の判断の過ちはまだ社会的に若さ故の過ちで済まされます。勿論社会に影響を与える重大事項は該当しませんが。

その場面を体感させるために遭遇したように感じます、物事を間違った方向に進める方のイメージを体感する貴重な場となりました。

スピリットチュアルにどっぷりはまった後のリアル世界に戻った時のコーヒーやライブの心地好さを感じた今日でした。