幸せはすぐそこにある,自分本来の姿に気づき受け入れるためのヒントになれば嬉しい

自己紹介-職歴

1983年4月(18才)

工業高校の電気科を卒業、通信メーカの孫会社に入社しました。

入社後は千葉県我孫子市、東北、横浜を廻り電子電話交換機の出荷試験、基板修理のスキルを習得しました。
我孫子の工場でろう者と出会った事がきっかけで手話を知りボランティア活動のきっかけとなりました。
手話の全国集会で北海道に行った際に難聴者と出会い、要約筆記を始めました、その後は点訳、盲ろう者向け通訳・介助に繋がりました。

1988年(24才)

名古屋の手話サークルのメンバーから「わっぱの会がすずらん」と言う授産施設(福祉施設)を立ち上げのメンバー募集を知り「わっぱの会」を知らないまま転職しました。

1989年9月(24才)

障がい者との関わりはあるものの「パン作り、配達」に馴染めずに転職しました。

行先は直前の会社から独立した会社でした、仕事内容は宅内の電話工事、メンテナンスでした。

現場仕事の大変さと楽しさを知りました。

1994年1月(30才)

結婚を理由に転職しました。

転職先は電機メーカーの孫会社で、会社の指示で「一級電気施工管理技士」と「1種電気工事士」を取得しましたが後々まで資格が役立ちました。

2001年9月(36才)

会社が傾き始めたので社長の斡旋で同じ電気メーカの子会社に再就職、送別会で一泊した温泉が忘れられません。

通信(電話)工事が再度したいと思い通信会社の子会社への内定が決まり辞表を提出した翌年に内定取り消しの連絡がありました。

その後に通信工事の応募をしましたが面接で不採用になり諦めがつきました。

職安で自宅近くの娯楽施設の電気工事の監督募集に応募するも試用期間の2ヶ月で不採用になりました。

理由は現場作業員とのコミュニケーション不足との事でした。

2004年6月(39才)

途方に暮れてもうないかと思っていた傾きかけた会社の元上司の連絡をすると、その後私が斡旋頂いた会社と合併して技術者募集中を知りました。

給与に多少の不満はあるものの勝手知ったるメンバーなので就職させて頂きました。

・1994年(30才)に縁があってから職種が変わるまでの14年間は公共工事(電気)で交通量計測装置、受配電設備、伝送装置、下水道処理施設を毎回システムや場所が変わる刺激がある仕事が出来ました。

ある時に朝早くから夜遅くまで休みがない現場で精神的に不安定になり親会社に労働環境の是正メールを入れた事がきっかけで退職せざる得ないところまで進みました。

メールを出す前に「なぜ相談がなかったのか?」との上司の悲願を顔が今でも忘れられません。

始めは仕事がなくなり社内での仕事ばかりになり、人生初めての意図しない退職に向かい混乱をしていました。

そんな中で「はづき虹映さんの2週間で一生が変わる魔法の言葉(じゅもん)と出会い、見方を変えて「今出来る事の感謝を持って精一杯行う」事にしました。

仕事が終わり職安が閉まるぎりぎりに求人募集を見にいきましたが、不思議な誘導で無事に求人案内が閲覧出来ました。

2009年10月(44才

目に留まったのは派遣会社で気になりましたがピンと来たので申し込みました。
社員待遇との事で一応安心しました。
1社目は電気工事の仕事で経験がない事で不採用
2社目は今回新規開発した会社(道路情報板メーカ)らしいですが全職ともマッチして派遣が決まりました。
仕事内容は道路情報板(岡山県)、路面冠水表示板(姫路市)、気象観測装置(大阪)とシステムも場所も全く事なっていました。

なんとなく地元の名古屋に向かっている気がしました。

2011年11月-2012年12月(47才)
大阪出張中にセラピーに興味を持ちセミナーを受けました。
・メンタルケア アドバイザー
・EFT
・レイキ
・TCカラーセラピー
そして多くにセラピストに出会いました。

大阪での厳しい毎日に耐えきれずに、『鈴木真奈美さんの講演、書籍』がきっかけになり『自分を大切にする意味』で心情を派遣元の営業に伝えました。

2013年1月(48才)
新しく全く経験のない携帯電話の基地局設置の監理業務に派遣が決まりました。
全くの放置状態で、自分なりにシステムの把握を精一杯努力しましたが3月に派遣の打ち切りが決まりました。
後から聞くと期間限定の派遣だったようです。

次の派遣先が決まらなければ解雇の話しが2月末にありました。

2013年4月(48才)
ネットによる就職活動を始め親身の担当者に当たり次の会社は太陽光発電の総合商社の工事部門に社員として決まりました。

高圧の野点(三重県伊勢市)と屋根(三重県伊賀市)の現場を担当しました。

今まで経験した事が無いような上司とのトラブルが発生、拠点が違うために月1度か電話の対応だけなんですがどうしても耐えきれず転職を考える。

今となっては何故そこまで苦手だったか不明です。

2014年11月(49才)
太陽光発電の大手会社に電工として入社しました。
二週間の研修では基礎的な挨拶、清掃等の鍛錬が続きました。

配属先では始業の1時間前出勤のために5時半起きで夜は22時、23時との事でした(入社当初でしたので私の帰りは20時、21時で帰れました)また休みは月1回で現場の都合で明日は休みと言った感じでした。

私は今までの反省を生かして死ぬまでやる気でいました。

しかし意図せぬ転機がありました。
昨年の10月から24歳の時に出会った会が介助事業を初めて仕事の休みに介助者をやっていました。
出来れば仕事としてやりたいと家内に伝えましたが、月収が半分以下のために来年の3月に下の娘が高校を卒業するまで待つ話しがありました。

どう事態が変わったか分かりませんが、今のまま続けて体を壊しては大変と転職の同意が出ました。

2015年1月(50才)
今まで建設業の現場工事、現場監理から50歳にして始めての介護職への転職になりました。


音声が聞き取り辛くてすみません

趣旨は名前の紹介と自分の人生半世紀をビデオ収録しようと思いましたが長すぎるのでブログの文章のみにしました。

人生に起きる出来事は意味ある必然か、単なる偶然の重なりか?

私は全て意味がある必然の出来事と考えています。

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